魔剣バアル・ゼブル。
ベルフェゴール公がかつて魔剣バアル・ベオルと共に作った姉妹作の魔剣である。
超重量のバアル・ベオルとは違い、小型で軽量であり刀身も短く、剣というよりは短剣に近い。
しかし、使い手の魔力を大量に消費する点は同じであり、八公爵レベルの妖力の持ち主ではないと使いこなすことは容易ではない。
接近戦というよりは投擲を主目的として作られた剣で、手を離れても契約者の魔力を吸い続ける。
かつてアスナがメリザンドに師事していたとき、この剣に何度地を這わされたことか。
対してアスナもバアル・ベオルを抜き放つ。
「勝てないことは承知しております。しかし・・・何もせずにただ連れ帰られるわけには参りません!」
アスナは出来るだけ凛とした声で言い放ったが、その顔は恐怖でひきつっていた。
「よく言った。私に一撃でも入れることが出来たらこの場は見逃してやろう。」
メリザンドは余裕の笑みを浮かべ、アストレアににじり寄る。
「メリザンド・ルネ=ベルゼビュート、我が名は貴様の夢と未練への引導代わりだ。」
「アストレア・ミレ=ベルフェゴール!このままただでやられはしませんわ!」
同時に互いに向かって駆け出す二人。
魔剣と魔剣がぶつかり合う。
重量において圧倒的に勝るバアル・ベオルだが、決定的に足りない魔力のせいで簡単に弾き返される。
「児戯だな。今の貴様は魔剣の重量に振り回されてるだけで妖魔の剣術と言うには程遠い。」
メリザンドの素速い突きが何度もアスナを襲う。
避けるだけで精一杯のアスナは防戦一方に追いつめられる。
命からがら距離を取るアスナ。しかしこの間合いこそがバアル・ゼブルの最も得意とする距離である。
「しまった!」
「焦りすぎたな、アストレア。」
すかさずメリザンドはアスナに向かって魔剣を投げつける。
念動によって制御されたバアル・ゼブルはまっすぐアスナに向かって飛んでくる。
命からがらかわすアスナ。魔剣はアスナの腕をかすり遥か後方へ飛んでいく。
「しめた!」
バアル・ベオルを握り、得物を失ったメリザンドをめがけてアスナは一気に距離を詰める。
しかしメリザンドは微動だにせず、アスナを見据えたままである。
「忘れたのかアスナ、蠅の投剣は二度舞うのだ。」
「!」
後方からバアル・ゼブルがアスナを目掛けて一直線に飛んでくる。
今度はアスナの反対側の腕をかすり、メリザンドの腕におさまる。
念動力で制御されたメリザンドの投剣は、往路と復路で二度相手に襲いかかる。
「失念していましたわ・・・。しかし二度も外すなんて、小母様らしくありませんわね。・・・っ!?」
アスナの全身が一気に脱力した感覚に襲われる。右手が急激に地面に吸い寄せられるような力を感じ、バアル・ベオルが地にめり込んだ。
剣を拾おうとしても、まるで持ち上がらない。
両腕の符の主要文字が削られていた。
アスナの符は無効化し、筋力補強も剣技の制御も不可能になっている。
外したのではなく、狙われていた。
格が違い過ぎる。
メリザンドはアスナを無傷のまま倒すつもりなのだ。
「得物がなければ話になるまい、終わらせるか?」
「・・・まだまだですわ!」
アストレアは懐から短剣、セイレネス・アズーロを取り出しメリザンドに投げつける。
符の力を失い、体の制動もうまくいかないアスナは、念動力で剣を飛ばして戦うしかなかった。
「投剣勝負か、面白い。」
メリザンドもバアル・ベオルを投げつける。
念動力で不規則なカーブを描きながら、空中で何度も火花を散らす二本の短剣。
「懐かしいな。ベノムともこうしてよく念動の手合わせをしたものだ。」
メリザンドは嬉しそうに笑う。
「だが、お前の魔力でこれを続ける力がどれほど続くものかな?」
アスナの念動力はとっくにキャパシティをこえ、鼻から出血していた。
制御の弱まった宝剣セイレネス・アズーロはあっさりと魔剣に叩き落とされる。
「一緒に帰って貰うぞ、アストレア。」
なす術を失ったアスナにメリザンドは歩み寄っていく。
「まだです・・・まだ私は・・・ここで帰ったら私は結局半端モノのまま・・・メルもロシェも幸せにしてあげることが出来ない!」
「何をしても心は折れず・・・か。やむを得んな、少しは痛めつけないとならないようだ。・・・っ!?」
メリザンドは魔剣を構えたが急激な気配の変化に一歩後ずさる。
「なんだこの魔力は・・・」
本来ほとんど魔力を持たないはずのアスナから強力な妖力が感じられる。
ブロンドのはずの頭髪は、メリュジーヌと同じモスグリーンに変わっていた。
「天秤を揺らしてしまったのか・・・遊びが過ぎたか。」
慌ててアスナに魔剣を投げつけるが、空中に障壁が浮かび上がり弾き返される。
「これはシルヴェーヌの力か・・・」
見るとアスナの背後でバアル・ベオルが宙に浮かんでいる。
バアル・ベオルは浮いたまま、本来の大剣の形に姿を変え白く発光し始める。
「間接ファンタズムだと・・・!?まずい!!」
メリザンドはとっさに回避の姿勢をとる。
バアル・ベオルは鋭い光を放ち、メリザンドの頬をかすめた。
アスナはそこで力尽き、崩れ落ちる。
魔力は元通りほとんど感じられなくなり、頭髪の色も元に戻っていた。
「途中から意識はなかったようだが・・・一本取られてしまったか。」
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アスナが目を覚ましたときは、もう夕暮れになっていた。
長く眠っていたらしく、メリザンドのコートがかけられている。
「ようやく目を覚ましたか。」
「小母様・・・私・・・負けたのですか。」
がっくりとうなだれるアスナ。やはり途中から意識はなかったらしい。
「いや、お前の勝ちだ。かすっただけではあるが・・・お前は見事私に一撃入れることが出来た。」
「え・・・そんな、私何も覚えて・・・」
狼狽するアスナ。メリザンドもここでアスナに嘘をつくことは簡単だったが、それが出来るほどメリザンドも器用な妖魔ではなかった。
「約束だ。今回はお前達を連れ帰ることは止めにしよう。だがな、くれぐれも自棄な行動は慎め、約束しろ。」
「はい・・・」
シュンとするアスナを見てメリザンドは笑う。
「・・・私も若輩の頃はよく無茶をしてはベノムに助けられたものだ。
命を何度救われたか数えきれん。だがな、借りを返す前に奴は逝ってしまった。
お前たちの面倒をきっちり見ることは私の責務だ。順番と言う奴だよ。
私はお前達が我が子のように可愛いのだ。・・・だから、これを貸してやる。」
そういってメリザンドはアスナの目の前にバアル・ゼブルを投げつけた。
物が物だけにアスナはぎょっとする。
「お、小母様・・・!これは流石に・・・!それに私では扱いきれません!」
「契約者は私のままだ。どんなに離れた地からでも私から魔力を引き出すことが出来る。
私は居城から魔剣を通して常にお前たちの力となろう。連れ返すことが出来ない以上、私に出来るのはそれくらいのことだ。」
そこでメリザンドは何かを思い出したようにフっと笑った。
「そういえば・・・元々その魔剣はベノムが同じことを言って私にくれたものだったな。
『メル、お前は無茶が過ぎる。くれぐれも自棄な行動は慎め。』と。」
「メ・・・ル・・・? メルと呼ばれていたのですか・・・?」
「昔の話だ。」
メリザンドはアスナからコートを受け取り、羽織りながら微笑った。
「アルカードを討ちたいのは私とて同じだ。だがな、私ですら勝てない相手にお前達を挑ませることは私の心が耐えきれないのだ。
どうしても挑むのならバアル・ゼブルから私の魔力を使い切れ。結果、私は死んでも良い。」
「小母様・・・」
アスナはフッと笑った。
「小母様も十分自棄なことを仰るじゃないですか。」
「だからベノムに窘められたのだよ。さて、それでは私はこれで失礼しよう。
アストレア、くれぐれも命を粗末にするな。大切なのは・・・今生きている近しいもの達なのだ。」
そういって振りかえり、メリザンドは去っていった。
「近しいもの達か・・・メル・・・ロシェ・・・ごめんね、私あなた達のことから目を背けてばっかりだったのね。」
そういって目の前の二本の魔剣に目を落とす。
「・・・これ、ペアリングみたいなものだったのかしらね。」
複雑な気持ちを抱えながら、アスナは帰途についた。
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「あら、おかえりなさいませアスナ姉様。随分と絞られてきたみたいですわねぇ。」
宿に帰ってきたアスナを最初に迎えたのはメルのニヤけ顔だった。
「・・・何も知らないっても呑気なものよね。こっちは本当死ぬかと思ったんだから。」
アスナはメルに非難の目を向けるが、メルは余裕綽綽の笑みを浮かべたままだ。
「あなた、その名前大切にしなさいよね・・・。色んな人に愛されて生まれてきたんだから。」
「・・・? 一体何の話をしてきたんだか・・・。」
不思議そうな顔で見てくるメルを尻目に、アスナは自室へ入って行った。
ドアを開けると、部屋はバニラの匂いで充満していた。
「うっ・・・何この甘い匂いは・・・ ロ シ ェ ル !!」
「姉様おかえりなさい。フォルネウス小父様のとこへのお祝い買っておいたよ〜。」
箱の中に綺麗に包装されたバニラビーンズが大量に詰められている。
これはロシェルなりの最大の祝辞にあたるのだろうが、こんな量使い切れるのか定かではない・・・。
アスナはやれやれという顔をすると、先ほどのメリザンドの言葉を思い出し、こう言った。
「まぁ、生まれてくる命は皆で祝福してあげましょう。
お父様や小母様達がそうしてくれたように、領内の新しい命が幸せに生きれるように私達も頑張らないとね。
・・・これは順番なのよ。」
アスナは役目を終えた宝剣、セイレネス・アズーロをそっと箱の中に同封した。
妹(前篇)へ続く
作者
アスナ
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