どこまでも続く真っ白な風景。
アスナはきっとここは夢なんだろうと思う。
誰にでも時々あるであろう、夢を見ながら夢と気づいてしまう時。
こういうときはさっさと一度目覚めてしまいたくなるものだが、どうやったら起きられるのか大抵わからない。
大体目覚めたところでどうせまだ夜中だ。また寝るとわかっているのにわざわざ目を覚ますのも如何なものか。
アスナは軽く頭を捻った。
「困った子だね。どうして来てしまったんだい?」
顔をあげると父がいた。傍らには幼いメルがいる。
「私・・・お父様やメルの役に立ちたかったんです。でも、結局半端な私の力ではなにもすることが出来なくて。」
魔剣の柄を握り締めるアスナ。父はただ微笑んだままこちらを見ていた。
「気にすることはないんだよ、メルにはメルの、アスナにはアスナにしか出来ないことがあるんだから。」
当然そんな言葉はアスナにとっては何の説得力もなかった。
「私は私の半妖の血を憎みますわ!妖魔としても人としても無力で、こんな符の力に頼らなければ何もすることが出来ない・・・。
お父様はどうして私を・・・!」
言いかけたところでベノムは手で制した。
「そんな悲しいことを言わないでおくれ。アスナにはアスナの生まれてきた意味がちゃんとあるんだ。
いや、少し違うな。アスナ自身がこれから意味を作っていくんだ。
君は私にもシルヴェーヌにも、メリザンド達にも愛されて生まれてきたんだよ。」
・・・アスナはいつの間にかここが夢であることをスッカリ忘れていた。
傍らでずっと黙っていた幼い姿のメルが口を開く。
「お姉様は私のことを愛してくださいますか?」
「?・・・愛しているわ。当り前じゃない。」
「ではロシェ姉様のことはどうですか?」
「当然愛しているわ。」
そう言うとメルはニッコリ笑った。
メルの頭をなでながら再び父が口を開く。
「アスナ、本当は君の中で答えは出ているんだよ。ただ、ちょっと練りこみが足りないんで表に出てこないだけなのさ。」
そう言って父はアスナの前に歩み寄り、優しく微笑んでアスナの髪をなでた。
「だから無理をするのはもうやめなさい。アルカードとも仲良くやればいいのさ。」
・・・目が覚めた。
アスナは自分の枕がグショグショに濡れているのに気づく。
「まだまだ惰弱ね・・・私、お父様にああ言って欲しいのね。」
目元を拭いながら、アスナは薄くルージュをひく。
シルグムント戦役の折り、出発に際して父が贈ってくれたものである。魔法がかけられており使ってもなくなることはない。
結局父は帰らず、ルージュは形見となってしまった。使ってもなくならない、永遠の愛。
部屋を出ようと魔剣を手にとるアスナ。
気のせいか、魔剣も泣いているような気がした。
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「我が名はアストレア・ミレ=ベルフェゴール。
ベルフェゴール公ベノム・ソドムが子にして、メリザンド・ルネの名代なり。」
またいつもの森の中の沢。
今日はメルと二人でここを訪れていた。
自分がメリザンドの名代であるとバアル・ゼブルとの正式契約を結ぶためだ。
この儀式を済ませておかないとゼブルの力を完全には引き出すことは出来ない。
仲介人として、ベルフェゴール家当主であるメリュジーヌが同席した。
「ベルフェゴール公メリュジーヌ・ユベールを仲介となす。
メリザンドに代わりアストレアが命ず。
バアル・ゼブルよ、我が意に従い汝の刃を捧げよ。」
バアル・ゼブルが僅かに白く輝く。
「メリュジーヌ・ユベール=ベルフェゴール。契約を確かに見届けましたわ。」
メルはナイフを取り出し、親指を軽く切ってバアル・ゼブルの柄に血判を押した。
刀身をマナの湧水で清め、契約はつつがなく終了した。
「お父様の夢ですか。」
帰り道、アスナは何となく今朝見た夢の話をメルにした。
「この前大きな魔獣を斬った後からね。ときどき見るのよ。」
メルは不思議そうに首を傾げながら言う。
「姉様は先日の戦闘で、自身の中にある妖魔の血を一時的とは言え解放しましたわ。
そのせいで魔力に対する感受性があがってるのかもしれませんわね。
バアル・ベオルの中にあるお父様の残留思念を感知してるとか、ひょっとしたらそんなものかもしれませんわ。」
「ふ〜む、確かに夢というのともちょっと違う気がするのよねぇ。」
唸って考え込むアスナ。
メルはそんなアスナの顔を覗きこんでから、アスナに訊ねた。
「お姉様は私のこと、愛してくださいますか?」
「え・・・」
夢とまったく同じことを言われてアスナはドキリとした。
「ま・・・まぁね。当り前じゃない。」
流石に夢のときと同じようにキッパリ言うのは照れ臭かった。
「先日のアレ・・・繰り返してると多分姉様は妖魔になりますわ。」
「え・・・?」
思わぬ発言にアスナは一瞬キョトンとする。
メルは淡々と説明を続けた。
「島に来てからの幾度の戦闘で姉様の中の魔力の拮抗が崩れ始めてるのです。
妖魔の魔術である符の肉体強化を絶えず使っていることで、大勢が妖魔の血に傾きつつあるのですわ。」
「私の内なる天秤の話ね・・・お父様や小母様から少しは聴かされたことあったけど・・・。」
メルは話を続ける。
「今はまだ、時々頭髪の色が変化する程度でしょうけど・・・やがて髪の色は戻らなくなり、私と同じ羽根が生えてくるものと思われます。
精気に対する渇望も次第に現れてくるでしょうね。
・・・一度そうなったら戻れません。完全な妖魔になります。恐らく魔力も私と同等のものになりますわ。」
「そんな・・・何とかすることは出来ないの?」
「・・・え?」
「あ。」
アスナはハッとした。
メルもキョトンとしてこちらを見ている。
「・・・何とかする必要があるんですの?」
ない。
自分は妖魔の貴族であり、公爵を守る剣。
半分混じった人間の血も、無力な自分も、己を縛る足枷であるはずだった。
これからメルを守っていくのにも、アルカードを倒すためにも、妖魔化は願ってもない絶好のチャンスだ。
・・・なのに、一瞬自分はそれを拒んだ。
「何故・・・私はそんなことを・・・?」
アスナは自分の発言に戸惑い、ただ冷や汗を流すばかりだった。
『本当は君の中で答えは出ているんだよ。』
魔剣から父の声が聴こえた気がした。
妹(中篇)へ続く
作者
アスナ
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