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SS:魔獣、覚醒

「そうだ、その男を殺せ」
 でっぷりと腹を太らせた肥満体の男が、闇の中に佇む男に言う。
 一枚の絵がそこには描かれている。
 頬に傷のある金髪の男だ。
「簡単なミッションだ」
「これが報酬だ。必要経費は別枠で用意しよう」
「分かった。報酬分はしっかり働こう」
 投げられた皮袋を受け取り、闇の中の男が動き出す。
 去り際、振り向いた男は肥満体の男に向かって軽く振り向いた。
「一つ、言っておく」
「な、なんだ」
 射抜くような目に思わず怯えが声に出る肥満体の男。
「何を画策しようと勝手だが、俺に依頼する以上、邪魔はするなよ」
「や、約束しよう」
 かくかくと頷かずにはいられない凄みがそこにはあった。
「その言葉、忘れるな……」

「怪我の具合はどうだ」
 痛みに耐えながら進むアルディンにガリウスが声をかける。
「それがな、もう痛みがない」
「傷が塞がっているな。かなり深いはずだが……」
 死紋の位置に命中したということは、アルディンであってアルディンでない部分への傷だったということか。
「あの短剣……毒まで塗ってるな。匂いで分かる」
 毒に冒された風も無く言うアルディン。
「……致死性の毒か?」
「だと思う」
 小さな沈黙が流れる。走る足音と、風を切る音だけが静かに続く。
「もはやその腕は、人の物ではないか」
「……まだそう決まったわけでもないさ、気合で押し返せるんだろ?」
「それは方便というやつだ。気合だけで解決できるものでもない」
 低く唸るようにガリウスが言う。
「そう簡単には振り切れそうにないな……だが、おかしい。追って来る気配は一人だけだ」
「どうする?」
「考える暇はないようだっ!」
 咄嗟に反転した短剣がアルディンの眉間目掛けて飛んでくる。
 寸前で交わし一瞬のうちに距離を詰める。
 相手には突然アルディンの進む方向が180度変わったかのように見えただろう。
 それこそは月下瞬転陣、破龍闘神流奥義の一つ。
 残像を残して瞬間的に相手との距離を詰める回避、攻め両用の歩方を用いて、アルディンは姿を見せぬ敵へと反撃に出た。
「同じ手ばかりっ!」
 魔斧槍ガリウスを一閃させる。
「そこっ」
 捉えたと思った瞬間。相手は土くれへと変わる。
「くそっ、土人形だと……」
 必殺の一撃を持ってガリウスを振りぬいたアルディンの残身に、背後から襲い来る影。
 東方の出と思われる麻の着物を着た恐ろしく醜い男。
 両目を布で覆っているのは盲目だからか。
「ガアァァァッ!」
 アルディンが吼える。
 明確に致命傷となる喉と腹を狙う二本の短剣が寸前まで迫っていた。
 まるで自分が加速しているように、時間がコマ送りになる感覚の中で、アルディンは短剣目掛けて右手を伸ばす。
 死紋が指まで浮かび上がった手で、短剣の丁度背にあたる部分を掴み、勢いを殺さず左に流して脇へとずらす。
 喉元を狙っていた短剣は流れを強引に変えられ、わずかに首から反れた。短剣の刃が手に食い込み、手のひらから腕へと流血が伝う。
 ほんの少しでも力加減を間違えば、指が飛ぶ。そんな絶妙の力加減の中、アルディンはさらに加速する自分を感じた。
 軽く首を掠めた短剣が、血の線を描いて過ぎ行く。
 短剣を逸らす勢いをさらに加速させ、背を向けながら身体を回転させる。
 丁度相手に裏拳を当てるように、正対せず、回転して軸をずらしたアルディンは、同時に魔斧槍ガリウスを斧頭近くの柄で握り直して肘で腰に固定する。
 そのまま体を回転させれば、柄の先にある石突の部分が相手を横から薙ぐ様に打ち付けた。
 さらに力まかせに体を回転させる。
 相手の丁度腰の部分を捉えた魔斧槍の柄が、相手を押しやり、二撃目を回避させた。
 しかし、アルディンの動きは初手で読まれていたのか、盲目の男は柄に押し出される力を計算に入れた上で見事に着地すると、すぐさま跳ねるようにアルディンへと短剣を突き上げた。
 体が丁度開いていたアルディン目掛けて下方から突き上げられる刃。
 アルディンは肘で固定していた魔斧槍ガリウスをそのまま片手で横に振りぬくことで斬り捨てようとした。
 開き過ぎた体で突き上げられる一撃を交わすことは恐らく不可能。
 ならば、後の先を取り、届く前に決着をつける、それがその時にできる最後の選択だった。
「オォォォッ!」
 互いが交差するその一瞬に全てをかけ、死中に活を見出した一撃が放たれる。
 短剣のように魔斧槍を扱い、強引に相手の肩から腹へと切り裂いたアルディン。
 お互いの息を感じるほどの近距離で睨み付ける。
 相手の肩を切り裂きいた魔斧槍ガリウスから血が滴る。
 ニヤリと笑うアルディンに、相手も嗤い返す。
 アルディンの脇腹に深々と刺さった短剣から血がドロリと零れた。
 ガリウスは確かに敵を切り裂いた。その肩を切り裂き、腹を掠めて抜けている。
 しかしその傷は浅く、致命傷までには至らない。
 アルディンが受けた傷は、内臓まで傷ついた、そうはっきりと分かる程深く突き刺されていた。
 言うなれば、それは致命傷だった。
 失血死へと繋がる酸欠症状が意識を遠のかせる。
 走馬灯とはこのことかと、懐かしい記憶がアルディンを駆け巡る。
 小さな妹、笑いの絶えなかったギルドの仲間達。
 笑顔と涙にぬれた顔が次々と入れ替わり、そして消えていく。
 
 そして、その時、異変は起こった。

 勝利を確信して距離を取ろうとする盲目の男の肩にアルディンが手をかける。
 アルディンの口元から血が流れ、その熱が男の頬へと伝わった。
 しかし、今にも崩れ落ちそうなのに、その手が振りほどけない。離れない。
 軽い恐怖に駆られて短剣で腕を切りつけるが、何故か鉄を斬り付けるような手応えが盲目の男を恐怖へと追いやった。
 その時、盲目の男は何が起こった果たして理解していただろうか。
 アルディンの腹の傷口から溢れる血と瘴気が形を取り、異形の腕へと姿を変えたことに気付いただろうか。
 掴まれた腕を力づくで振り払い、大きく距離を取る盲目の男。
 が、しかし5本もの腕に取り付かれ、そのまま身動き取れずに空中に持ち上げられ固定されてしまう。
 やがて5本の腕がベキベキと骨の軋む音を立てながら指へと変体し、巨大な一つの手となった。
 慌て慄く盲目の男を軽々と掴み、断末魔も無く一瞬のうちに握りつぶす。
 だが、アルディンはまだ止まらない。
「グォォォォォォォォオッ!」
 傷口から溢れる瘴気はやがてアルディンを飲み込み、メキメキと肉の裂ける音を出しながら姿を変えていく。
 アルディンの体から流れる赤い血は、肉体が再形成されるに従って治癒能力を持った別の黒い液体へと変わる。
 黒い液体は意思を持った生き物のようにアルディンの体を覆い、腕、足、体、と肉体の全てを再構成していく。
 衝角の生えた巨大な足が大地に突き刺さり、その重さで地面が陥没し始めた。
 黒い液体に濡れながら爆発するように生えたもう一本の腕は、黒光りする硬質な鱗に覆われていた。
 腕からは魔斧槍の刃先の部分が巨大なアームブレードの様に肩の位置まで生えている。
 やがて、黒い血から巨大な顎と二本の雄々しい角を生やした悪魔の顔が現れた。
 赤黒く光る瞳が大地を睥睨し、低い唸り声が周囲へ響く。
 軽く曲げた背中をゆっくりと伸ばしながら天を仰ぐ姿は、あたかも神へと決戦を挑む悪魔の姿そのものだった。
「オォォォォォォオオオオッ!」 
 背中から羽の無い巨大な翼が4枚、嫌な音を出しながら広がっていく。
 その体躯は元の姿からは想像できないほど巨大になり、周囲の巨木を軽々と超えた。

 その日生まれた一体の魔獣は、夕闇に包まれ始めた空の下、圧倒的な威圧感と存在感で、世界を支配するがごとくそびえ立った。

集結せし英雄(前編)へ続く

 作者

アルディン