「今日は新月かぁ、困ったなぁ」
まだ日の高い昼下がり、宿屋レギオンズソウルの窓から空を見上げてアリシアが一人呟く。
「どうしたんですか?アリシアさん」
同室のウィオラがアリシアを気遣って声を掛けた。
「あぁ、いや何でもないよ」
「そうですか? 深刻そうな顔してますけど」
心配そうにウィオラは覗き込む。
「そんなことないわよ、え、えへへへへ」
ウィオラはここ数日の付き合いで、アリシアがこう言う時は、もうここで話は打ち切りというサインだということを心得ていた。
「まぁいいのですけど、私買い物行ってきますね」
追求しても喋らないことは分かっているので、今は一人にしてあげるのが気遣いというものだろうとウィオラは寝台の近くに置いてある鞄を手に取った。
「あぁ、そうだウィオラさん。今日あたしちょっと用事があるんだけど、もしかたら今晩ここに帰って来れないかもしれないの」
「あらそうなんですか、どうしましょう」
意外なこともあるものだといぶかしむウィオラ。
「鍵掛けずに開けておける?」
「まぁ今ここは貸切みたいなものですから、いいのですけど」
人差し指を唇に軽く当て、思案顔で少し押し黙るウィオラ。
「アルディンああ見えて奥手だから安心しなさいって」
「い、いえそういうことじゃなくてですね」
何故かアルディンの名前が出てきて慌てる。
「この部屋人払いの結界張ってるから物取りとかは大丈夫よ。あたしが許可を与えてないギルド以外の人は入って来れないわ」
「いつそんなことを……」
油断のならない人だと、ウィオラは額に汗を浮かべた。
「乙女のたしなみよ。まぁどっちかっていうと呪いに近いのだけど」
「今何て……」
「な、なんでもないわ。それより、お願いできる?」
「うーん。分かりました。寝るときになっても帰ってこなかったら鍵開けておきますね」
「ごめんねー」
「いざとなったらアルディンさんが助けてくれますよ」
変に動揺してはいけないと、茶目っ気たっぷりに返すウィオラ。
「あっはっはっ。まぁウィオラさんなら暴漢の一人や二人追っ払いそうだけど」
「えー、そんな目で見てたんですかぁ。こんなにか弱い乙女なのに」
「自分で言うか」
呆れ顔で言うアリシアにウィオラがクスリと笑う。
「それじゃぁ買い物行って来ますね」
「あい行ってらっしゃい。あたしもそろそろ出るから、帰ってきたらいないかも」
「はーい」
「いってらっしゃーい」
そう言ってウィオラを見送ったは良いものの、アリシアはどうして良いか少し途方に暮れていた。
今日は新月。妖魔とのクォーターであるアリシアにとっては、特別な日だ。
「それにしても本当に困ったわぁ」
その日何度目かのため息がこぼれた。
「しっかしまさかこんなに早くレギオンズソウルに帰ってくるとはなぁ」
ソファーに足を投げ出しアルディンは呟く。
「騒がしいのが居ない分くつろげるだろう?」
貸切状態の居間に立てかけた魔斧槍ガリウスがアルディンに答えた。
「静かなのはいいんだがな、どうにも出て行った手前こんなに簡単に戻ってきていいのか……」
そう言ってあたりを見回す。
おしゃべりしながらふざけあう女性陣の姿はそこにはない。
夕暮れ時の平和な時間が流れていた。
久々に心も体もリフレッシュした気がする。
「そういう呪いなのだろう。いい加減諦めたらどうだ」
「原因そのもののお前に言われる日が来るとは……」
適度に返答してくるガリウスの律儀さと、まったく責任感のない返答に呆れるアルディン。
責任感を求めても仕方ないのは分かっているのだが、こうも人間味を帯びてくると苛立ちに変わる。
「我を欲したのはお前だ。代償と思え」
「お前いい性格してるよなぁ、そんな変な契約とかした覚えはないぞ。今の言葉絶対思い付きだろう?」
チラリとガリウスを見やる。
「ふむ、多少は冗談が分かるようになったか。成長したなアルディン」
ふんぞりかえるかのように妖気が蠢いた気がした。
「アホらしくなってきた。寝るわ。何にもないとは思うけど、何かあったら教えてくれ」
そういってアルディンは居間を後にし、自室へと戻ることにする。
何かガリウスが言った気がしたがそれは無視して階段を上るアルディン。
「ウィオラも買い物行って帰ってこないし、アリシアは静かだし、たまにはゆっくり惰眠を貪るか」
さんざんゴロゴロした挙句に惰眠を貪る。そんな至福な夕暮れを思い浮かべてアルディンは2階の自室へと足を向けた。
「ん、無用心な。アリシア、扉開けっ放しだぞ」
扉を閉めようと部屋に近づくが、しかし物音一つしない。
「……って居ないのか」
割と大きく開いたドアから部屋の中を一望するも、誰もいない。
アリシアも出て行ったということか。
「ぴっ」
ふと、鳴き声が聞こえた。
「ん、変な声が……」
「ぴぴぴっ」
どうにも聞き覚えのある鳴き声だ。祭りで良く耳にするかわいらしいあの響きだ。
「このあたりか……なっと」
もぞもぞと布団をまさぐり、生暖かい何かを掴んだ。
「ぴぃー」
持ち上げてみると黄色いふわふわのもこもこがそこにあった。
「なんだこれ」
良く見れば鳥だということが分かる。まだ雛なのだろう、毛むくじゃらな姿が愛らしい。
「ただのひよこか……ぽぃっとな」
祭りの土産屋でよく見る雛だった。
興味をなくして布団の上に再び放るアルディン。
「ぴぃぃぃっ(怒)」
「それにしても散らかし放題だなぁ……、服まで脱ぎっぱなしかよ」
おそらくはアリシアの服である。
きっちりたたむかと思いきや、脱ぎっぱなしであった。
そこで、アルディンは見てはいけないものを見てしまった。
思わず時が止まったかのように停止するアルディン。
「こ、これは……ビンク、だとっ!?」
ピンク色の、おそらく脱ぎたてと思われるアレが無造作に布団の上に放ってある。
無防備にも程があろうと思わずにはいられない。
それはそれとして、この趣味はアリシアのものだろうか、ウィオラのものだろうか。
状況的にはアリシアのものだろうが、フリフリのピンクである。
凝視してしまうアルディン、考えてみれば女性陣の部屋に無断で立ち入り勝手に下着を見てしまったのだ。
犯罪である。見つかったら撲殺されるに違いない。
どうするアルディン……
そう自分に問いかけながら、色んな意味で思わず生唾を飲み込んだ刹那。
アルディンの腕に激痛が走った。
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新月の夜(後編)へ続く