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SS:雷光の中の瞳

 夜空に広がる星々が冷たく輝いている。
 静謐で、それでいて暖かい。そんな星々の光をじっと見つめていた。
 少し湿気た冷たい夜風が心地良い。
 風を感じながらアルディンは幼い頃から何か辛いことがあると、一人空を見上げていたのを思い出す。
「けっこう精神的にきてるな……俺」
 自分でそう口にしてしまうあたり、相当なものだなと再度自覚する。
 こんな顔をアストレアやメリュジーヌに見せたら何を言われるか分かったものではないと、そのまま苦笑した。
「アルディンさん、こんな夜更けにどうしたんですか?」
 屋根裏に上って寝転がっていたアルディンを覗き込んできたのはアストレアであった。
 不覚にもアルディンの目が大きく見開かれる。
「ア、アストレア……」
 考えていた当人が目の前に慌てて面食らったアルディンはそのまま目をしばたたかせる。
「気持ちよさそうに夜空を見上げてたんで、私も来ちゃいました」
「来ちゃいました……って」
 この場所は子虎の大河ぁや竜のアルルお気に入りの談笑スポット。
 屋根裏部屋の窓から出ると、不思議なことにゆるやかな傾斜の屋根に丁度良い腰を下ろせる段差がある。さながら大きなバルコニーのようになったこの場所は、外からは見えない屋根の上の庭。
 日当たりも南と、実に都合の良いひなたぼっこの場所だった。
 居心地が良いので屋根裏部屋にマットを置いていつでも腰を下ろせるようにしているくらいだ。
 屋根も瓦のようなものではなく、石材の上に木を敷き詰めたもので足下も頑丈である。
「私の部屋からここ丸見えなんですよ」
 言われて目を移せば確かにアストレアの部屋の窓が視界に入っている。
「あー……それはすまない。他意はないんだ……」
「分かってます。よくここで大河やアルルと遊んでますもんね」
「そこまでお見通しか」
「へんな気があるようだったら今頃アルディンさんは……」
 思わず身震いするアルディン。
「いつも楽しそうだなぁって。でも今日は、ちょっと寂しそうな顔してますね」
「さ、寂しそう?」
「違いました?」
 そんな顔していただろうか。
 アストレアは軽く微笑むとそのままアルディンの隣に並んで座ると、今しがたアルディンがしていたように空を見上げた。
「私ね、小さい頃よく夜空を見上げてたんですよ。お父様が星座の名前を教えてくれるのが嬉しくって、いやなことあると良く見上げてました」
 そのまま両手を横に大きく広げて伸びをする。
 まるで世界を抱きしめているかのように両手を大きく広げた姿は、鋭い雰囲気の戦闘中とはうって変わって溌剌とした魅力にあふれている。
「久しぶりに私もナイトウォッチングしようかなーって」
 思わず吹き出す。
「なんだよそれ、ナイトウォッチングって」
「あ、やっと笑いましたね」
 嬉しそうにアルディンに言うアストレア。
「実は私、元気のなさそうなアルディンさんを励ましに来たのです」
 ぱっと向きを直してアルディンに顔を向けるアストレア。
「似合いませんよ、何があったか知りませんけど。もっとこう胸を張って!」
 ふと、写本に言われた言葉が蘇る。
──付与者、もしくはその血を受け継ぎし子孫の持つ、心臓の血を飲むが良い──
 それが、何だと言うのだ。
 呪いが、何だと言うのだ。
 アストレアが笑っている。
 邪気のない優しい笑顔だった。
 今目の前にあるこの笑顔を失ってまで手に入れるものなのか。
 そんなこと、あるものか。
 断じてあってはならない。
「あー、なんかバカバカしくなった」
 そう言ってアルディンも腕を大きく広げて伸びをする。
 そしてそのまま倒れ込んだ。
「なんか酷いですね、せっかく美少女がこうやってわざわざ励ましに来たって言うのに」
「そうだな……悪い」
 つぶやくアルディンの目尻が月の光を浴びて薄く光る。
 続いて少し鼻をすする音。
「えっと……もしかして泣いてます?」
「……泣いてない」
 ぶつぎりに話すアルディンに急におろおろしだすアストレア。
 妙な間が二人の間に訪れる。
「えーっと私そんなつもりじゃ……」
「……誤解するなよ、これは涙なんかじゃない」
「えー、どう見てもそれは」
 所在なげに視線を泳がせるアストレアがアルディンの顔をもう一度見る。
 何と答えたものか、言葉に詰まったアルディンが俯く。
「これは……心の汗だっ」
 まじまじとアルディンの顔を見るアストレア。
「……ぷっ、ぷははははっ」
「そこまで笑わなくてもっ」
「アルディンさんって以外に可愛いとこあるんですね。あっはっはっは」
 笑いが止まらなくなったアストレアが腹をかかえて屋根裏へ膝をつく。
 その時。
 体の中を液体が駆け巡った様な異様な感覚がアルディンを襲った。
 どくん。
 どくん。
 突然目の前が真っ暗になる。
 魔獣化して以来何度か起こっているこの感覚。
 だが今までにはなかった痛みが背中に走る。
 何だ、とアルディンがいぶかしむ間もなく、体に異変が起こった。
 両肩から背中にかけて走る激痛に、思わず両肩を抱くアルディン。
 突然ゴポリと肩が盛り上がった。
「あ、アルディンさんっ!」
「な、なんだ急に……体がっ……ぐっ」
 腹を抱えて笑っていたアストレアは異様な光景に立ち上がり駆け寄る。
 突然アルディンの背中が裂け、そこかから血に染まった何かが突き出した。
 赤い雨でも降ったかのように、赤黒い血しぶきが周囲を染め上げる。
「う……あ……ああっ!」
 途切れ途切れの悲鳴を上げるアルディンの背中からは、鮮血に塗れた黒い翼がビクンビクンと震えながら生えている。
 それは羽根のない漆黒の翼。
 痛み以上に自身の体に起こった異変に恐怖するアルディンは、両肩を抱いたまま動けず苦悶の声を上げる。
 ほとんど記憶にないが、体を何かが染めていくこの感覚は魔獣化したあの時と良く似ているとアルディンは頭の隅で思い浮かべた。
「そ……そんな……」
 痛みと恐怖に震えるアルディンをアストレアは呆然と見つめていた。
 ドンッっと押し寄せる圧迫感。
 それは明らかに濃密な妖気だった。
 血しぶきを受けて頬を点々と赤黒く染めるその瞳は、背中から生えた翼に向けられていた。
 見覚えのある翼だった。
 幼い頃何度も見た父の勇姿。
 その背中には同じ形の翼があった。
 右の翼の先に、斬り傷による消えない痕があるのも、左の翼に刺し傷の痕が残っているのも。
 どちらも戦いで受けた傷だが、父の誇りでもあった。
 その寸分違わぬ一致にアストレアは驚愕した。
 それこそは父の翼。
 黒き闇の公爵、亡きベルフェゴール公爵の翼だ。
「貴方は……一体誰なんですか……」
 激痛に声が出ないアルディン。
 そのアルディンを見下ろしながらアストレアの言葉は細く、独白のように続く。
「誰なんですか……」
 アストレアの髪が薄く緑色を帯び始める。
 突然稲光。吹き付ける風。
 血を洗い流すように大粒の雨が降り出した。
 その雨に濡れるに任せてアストレアはアルディンを見下ろす。
「答えて下さい。アルディンさん」
「俺は……」
 その手が腰の細剣に伸びようとしたその時、別方向から声がかかった。
「アルディンさーん、私もまぜてー」
「ロシェル……きちゃだめ!」
「きちゃだめって、姉様独り占めはずるいよー♪」
 まるで呪縛から解き放たれたように体が動くのを確認するアルディン。
 その瞬間、広がった翼が一瞬で霧散する。
「ってすごい雨! 二人とも早く中へっ」
 屋根裏部屋の窓からひょっこりと顔を出したロシェルは、降る雨に目をそばめる。
 窓枠に手を掛け、よくよく二人を見たれば、その異常な光景に思わず口を手で覆った。
「ちょ、ちょっと何があったのアスナ姉様!」
 血の付いたアストレアとアルディンを目に、ロシェルは自身が濡れるのも構わず駆け寄る。
「何でもないわ……」
 目をそらすアストレアの肩をロシェルが掴んだ。
「何でもないわけないでしょっ! 怪我はない? 何があったの?」
 アルディンが無言で立ち上がりそのまま脇をすり抜ける。
 屋根裏部屋へと続く大きな窓枠へと手をかけたところでアストレアが追随した。
「アルディンさんっ!」
 呼び止めるアストレア。
 振り向き、そのままじっと見つめるアルディン。
 激しく降る雨音だけが二人の間にあった。
 稲光と轟く落雷の音が二人を彩る。
「二人ともどうしたのっ! なんかおかしいよ!」
「悪い、ロシェル。はぐれエキュオスが襲ってきてな……。もう退治したから」
「えぇ、心配しないで」
「これはその返り血だ……」
 振り返るアルディンの背中には破けた服の痕とこびりついた血はついているものの、それらしい傷はない。
「今夜は少し警戒して寝よう。他のメンバーにも言っておくよ」
「そうですね……」
 そう言う二人を交互に見やってロシェルは黙り込む。
 アルディンはそのまま窓枠を超えて、宿の中へと戻って行った。
「行きましょう、ロシェル」
「アスナ姉様……」
 雨はいっそう激しさを増し、アストレアに付着した血を洗い流していく。
 まるで血と一緒に何かを拭い去っているように、アストレアの瞳が細められていった。
 刹那に光る雷光を映した瞳が、雨粒に濡れた髪の下で怪しく光っていた。

?へ続く

 作者

アルディン