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SS:片翼の戦士

 乾きかけの髪がシーリングファンの作る空気の流れにサラサラと揺れている。
 明かりはない。天窓から差し込む月の光のみだった。
 自室の中に一人、アルディンは呟く。
「ガリウス、いるんだろう?」
 しかし何も答えない。誰も答えない。
 魔獣となるあの時まで、いつも隣に影のように付き添っていた魔斧槍ガリウスはそこにはいない。
「出てこい」
 返事はない。
 しかし、背中を裂いて現れた翼の感覚がアルディンに確信めいたものを与えていた。
「……出てこいっ!」
 強く言葉を発したその時。
 全身を異様な妖気が覆う。
 背中を裂いて再び、翼が現れた。
 片翼だけではあったが、同じ漆黒の翼がそこにある。
 翼はアルディンの意志と反して勝手に動き、聞き覚えのある思念が語りかけてくる。
「……気がついたようだな」
「やはり、そうか……。この痛み、お前だったんだな」
 あるいは期待していたのかもしれない。
 偽島のマナが変に体に影響したのだと。
 あるいは、夢だったのだと信じたかったのかもしれない。
 その最後の希望の一欠片を、現れた片翼の翼は粉々に砕いた。
「……言ったであろう、死紋は存在侵食の証だと。
 侵食の結果、お前と我は既に同じ存在として固定されている」
「死紋など何処にある?」
「もはや全身に……」
 死紋が鮮やかに浮かび上がる。
「これは……」
 全身に文様がびっしりと広がっているのを見て驚愕するアルディン。
「今までは意識の表層に現れてこなかった。
 しかしずっと汝は侵食され続けていたのだ」
 ガリウスの意志か、死紋が薄れ、消えていく。
 アルディンは震えた。
 隠れて進行していた病、それを知覚すると同時に人は恐怖し絶望する。
 絶望の中で心にうっすらと灯るのは怒りだった。
「一度死に、魔獣化したあの時。我と汝の存在は完全に融合したのだ。
 一度融合した以上、簡単には元に戻らぬ」
「……これは呪いではないのだな」
「汝が我を使い、我が汝に力を与えたその結果だ。因果の呪いは今尚有効だが、それはただの切っ掛けに過ぎない」
「馬鹿馬鹿しい……これでは……これでは今更呪いが解けたところで何の意味もない!」
 あまりに激しく噛んだため、唇の端が避け、血が一滴流れた。
 しかしその傷はすぐさま修復されてしまう。
 泡立つように直る傷の感覚に、既に自分は人ではないのだと、そう悟る。
「これでは……
 国も!
 民も!
 家族も!
 何も取り戻せないではないかっ! 失ったものなど、何一つ戻らないではないか!」
 気持ちをぶつける先など無く、叫ぶのも空しい。ただ虚無感だけが胸に飛来する。
「俺は……何の為に……」
 急に命が軽くなったような、そんな気がした。
 背負ってきたもの、守ると誓ったもの。全てが水泡に帰していく感覚にアルディンは打ちのめされた。
 別れた時のアスナの顔が胸をよぎった。
 あれは、ついに何かを見つけた者の目だった。
 鋭く、怪しく光るあの瞳の先にいる自分は、誰なのか。
「ガリウス……呪いは解けていないんだな」
「解けてはいない。しかし綻んでいる。条件であった我と、対象であった汝が一つになった為だ」
「ならば、俺の正体を知ることは可能なのか」
「呪いに近しい者であれば。何かの切っ掛けに気付くこともあろう」
「……以前はこの呪いのことは分からないと言っていたな」
「……力を吸収した妖魔、ベルフェゴール公爵の知識へ、わずかながらアクセスできるようになった。原因は分からぬ」
 つまり、アスナは、知ってしまったのだ。
 自分がアルカードであると。
 今まで呪いに隠されて、知覚できなかった自分という毒に。
 自身が今この瞬間感じている恐怖や絶望感をアストレアも味わっているのだろうか。
 滑稽ではないか。
 自身だけでなく、アストレアも同じ苦しみを味わっているのかと思うと、あまりの滑稽さにこの世を呪わずにはいられない。
「因果の呪いか……しかしこれは確かに憎悪の呪いだ。あの占い師のばぁさん、エセだと思ってたが、案外凄腕だったのかもな」
「誰か来る……」
 そう言ってガリウスは姿を引っ込める。
 アルディンが元の姿に戻ったのと時を同じくして、ノックと共に締め切っていた扉が開いた。
 鍵は掛けたはずなのにと、頭のどこかで思うも、そこに立つ人を見て納得する。
 まるで全てを予見していたかのようにそこに立つのは千鶴だった。
「知ってしまったのですね」
「千鶴……」
 最初にガリウスが【存在を食らうもの】だということを告げ、アルディンの呪いが何かを正確に言及した謎の才媛は、いつもと同じ無表情の中に小さな葛藤を抱いているようにも見える。
「無断で入室した失礼は詫びます。しかし貴方が全てを知った以上、私も判断せねばなりません」
「……何をだ」
 アルディンは顔が強ばるのを隠そうともせず、千鶴を見返した。
「貴方を斬るかどうかを」
 静かに言う千鶴に、アルディンは沈黙で答える。
 再び魔獣となる可能性のことを考えれば、至極当然の考えか、と納得さえするアルディン。
 自嘲気味な笑みがこぼれた。
「……斬りたいのなら好きにしろ。人でない者が故国の再興など夢見るものでもない」
 目を細めるアルディン。 
「それに、化け物になってまで妹の側にいても迷惑なだけだろうしな……」
「貴方を危険視するだけなら既に斬っています」
「引導を渡しに来たんだろ?」
「違います。が、それ以前に今の貴方は斬る価値すらない」
 怜悧な刃物を思わせる視線にどこか憤慨した色を乗せて千鶴が言う。
 押し黙るアルディン。
「そうかよ……」
「ここに足を運んだのは別件です」
「なんだよ、もう一人にしてくれ……」
「妹さんが……アルテリアさんが、倒れました」
 アルディンの声に被さるように言う千鶴。
「……何っ!」
 一瞬アルディンは何を言われたか分からずに目を瞬かせるが、すぐさま勢いよく立ち上がると千鶴の両肩を掴んで迫る。
「何があった!」
「急な高熱で意識不明の状態です。今は部屋で寝ています。ウィオラさんが看病してくれています」
 千鶴置いて扉に向かおうと手を放したアルディン。
「治し方を聞かなくて良いのですか?」
「知っているなら早く試せよっ!」
 近距離で睨みつける。
「貴方にしか出来ません」
「どういう事だ?」
「貴方に掛かっている因果の呪いを解けば、アルテリアさんの症状は改善するでしょう」
 表情無く告げる千鶴の声は冷たく、まるでそれは死を告げる天使のようだった。
 無理だと承知で言った。そんな言葉を言外に滲ませ千鶴はそれっきり口を閉ざして道を空ける。
 鋭く千鶴を睨み付けると、無言のままアルディンは扉を開けアルテリアの部屋へと走った。
 走りながら千鶴の声が頭の中で反響のように響く。
 呪いを解けばアルテリアの症状は改善する……。
 どういうことだと思考する前に、アルテリアの部屋へと到着した。
 勢いよく扉を開けると、ウィオラがアルテリアの頭に乗ったタオルを交換する所だった。
「アルテリアはっ!?」
「大丈夫ですよ、もう落ち着きましたから」
 ウィオラが苦笑混じりの顔でこちらを見てる。
「熱が、高いと聞いたが……」
「一応熱は引きましたね。解熱剤が効いたみたいです。ただの風邪だと思うんですが……」
 確かに熱は出ているもののいつもと変わらぬ様子に胸をなで下ろす。
 ウィオラがそういいながらアルテリアの髪を撫でる。
 額に浮かんだ玉のような汗を拭き取り、絞ったタオルを置いた。
「まだ意識が戻らなくて……。疲れが出たんでしょうね、急に倒れた時はびっくりしました」
「そ、そうか……変わろうか」
「少ししたらマリナさんが交代に来てくれますからいいですよ。女の子の部屋に断り無く入っちゃ駄目です」
「あ、あぁ……そうだな。何かあったら呼んでくれ」
 クスリとウィオラが笑う。
「何かお兄さんみたいですね」
 言われた言葉に苦笑しつつ、とりあえずは命に別状はないと見て取ると、挨拶をして扉を閉めた。
 そのまま急いで部屋に戻る。
 早足で自室を目指す。
 軽く開いた扉からは明かりが漏れ、千鶴がまだ部屋にいることを主張していた。
 扉を開ければ、千鶴がプライベートバーからティーセットを取り出し紅茶を入れている。
「丁度出来たところです。一杯いかがですか?」
「一応俺の部屋の調度品なんだがな」
「クラウンフィールド家のおかげでしょう」
 そう言って片方のティーカップをアルディン側のテーブルに置き、自分の分はつまんで飲み始める。
「良い茶葉ですね。保存方法もしっかりしてます」
「茶葉にはうるさいからな」
 ソファーに腰掛けるアルディン。
「少し落ち着いたようですね」
「色々ありすぎて感覚が麻痺しただけだ」
「率直に続きを話しましょう。これは、言ってみれば呪い返しの状態です」
「呪い返し?」
「ガリウスと貴方が同位体となったことは分かってます。それが原因で呪いに欠落が生じました。予期せぬ変異で直接害を与える呪いとなってしまったのです」
 紅茶をいっぱい啜る。
「具体的には、アルテリアさんの意識障害は呪いが解けない限り戻らない可能性が非常に高いです」
「そんな……」
 何度目かのフクロウの声が頭の中で響く。
──付与者、もしくはその血を受け継ぎし子孫の持つ、心臓の血を飲むが良い──
 そう、呪いを解く方法は既に分かっている。
「アルマ……」
「立ち会いましょう。貴方がその気なら」
「考える時間がほしい……」
「全ては貴方が決めることです……」
 千鶴はそう言うと席を立ち、部屋を出て行く。
 アルディンには、それを無言で見送ることしかできなかった。

作者!!
アルディン