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SS:幸せであるように

アストレアに頼まれ、呪刻を組んでから。
どうにも眠れず、ウィオラは部屋を出て階下の酒場へと向かった。
カウンターを回りこんで、強めの果実酒の瓶をひとつ手に取る。
ギルドの占有状態で他に客もおらず閑古鳥が鳴いていたレギオンズソウルだが、度重なるクラウンフィールドからの資金援助やメリザンド女公爵による改修工事により、いつの間にか立派な建物になっている。
そのせいもあってか、最早宿というよりギルドメンバーの遺跡街での「家」と化しており、従業員を通さずにギルドメンバーが厨房やその他施設を使うのも日常茶飯事となっていた。既に店主公認である。

カウンターに腰を下ろし、ぼんやりと指輪を見つめる。
かつて仮初の誓いを結んだ、その証。薄紫に染まるその石が宿す輝きが、未だその契りが有効であること・・・・・・許婚の無事を示している。
そして、授けられたその時には透明だった石が、ウィオラの魔力に共鳴するようにその薄紫の輝きを強めたのは、この島にやってきてからのことだ。
きっと、あの方はこの島のどこかにいる。
そして、それを妹も知っているのだろう。
だからこそのあの言葉だったのだろうし、先日、大戦後彼女を引き取ったという蠅の女公爵が島を訪れた時も、何か聞いているのかもしれない。

 ――私、アルカードを討ちます

彼女の答えなど、はじめからわかっていた。
今更動揺することでもない、筈だった。
誰もが幸せに、などなれる筈がない。
思いのままに生きて幸せだけを望むのは、柵や矜持が許してくれない。

酒でも入れば眠れるだろうか。
自堕落な気もするが、甘みのある果実酒は好物でもあるのだから仕方ない、と自分を納得させグラスを手に取った。



「あまり飲みすぎると体に毒ですよ?」
不意に声を掛けられた。柔らかな声。ロシェルもそうだが、旋律に乗せて魔力を紡ぐ彼女の声は透き通るように優しく耳に届く。
「・・・マリナティア様」
言われて初めて気付く。寝酒代わりにグラスに1杯、のつもりだったのだが、瓶は殆ど空になっていた。
「マリナ、で結構ですよ、ウイユさん」
「すみません、マリナさん」
前にも言いませんでしたか?と微笑まれ、敢えてウィオラを愛称で呼んだ彼女に答えるように訂正する。
「・・・何か悩み事ですか?」
取り繕ったような表情を察したのか、マリナティアはそのままウィオラの隣に腰掛けてきた。
小首を傾げて顔を覗き込まれ、言葉に詰まる。
吐き出してしまいたい気持ちと、話せない事柄が鬩ぎ合い、ため息がこぼれた。

「逢いたい人が、いるんです。もう亡くなったと聞きました。でも私、信じられなくて。生きていると、確証めいたものもあって」

まだほんの少女であった頃。
家族のことを胸に秘めたまま、秘密と嘘を抱え約定の為に異国の城を訪れた彼女を丁寧に迎えてくれた人。
様々な思惑の坩堝の中で引き裂かれそうになっていた彼女にとって、それは縋ってしまいたい程に優しいものだった。
仮初の契りをかわした折、授けられた誓いの証。その輝石は、今も確かに輝いている。

「その人を、仇と追っている人がいるんです。でも・・・その追っている人も、私にとってとても大切な人なんです」

生まれたばなりの妹が故郷で非常に微妙な立場に立たされていることは、幼いながらに感じていた。
わたしはずっとあなたのそばにいるからね、と揺り籠で眠る妹に無邪気に笑いかけたのは、もう遠い昔のことだ。
それでも、妹が進んで妖魔になりたいと願っていないことは、彼女にとって嬉しいことだった。
立場としてはベルフェゴールの公女でも、人間としての側面を捨てたくないと願ってくれたことには、救われたような気がした。

「誰があなたの敵になっても、ずっと味方でいるからねと言ったんです。・・・多分、相手は幼すぎて覚えていないでしょうが。――それくらいに、大切な人なんです」
アストレアが自分の決意を口にした時も、黙って見送った。それは、彼女が大切だからなのだろうか。本当に、その意思を尊重したかったからなのだろうか。
止められるものではないと理解しながらも、それでも止めたいのだという自分の意思を押し付けることで、彼女の心が本当に離れていってしまうという恐怖から、だったのではないだろうか。
そもそも、故郷にいた頃まだほんの赤子だったアストレアが、今自分を「姉」と呼んでくれるだけでも、奇跡のようなことなのだ。
訥々と、言葉を選ぶように語るウィオラを、マリナティアはじっと見つめていた。
なかなか言葉にならないでいるのに、先を急かすでもなく、ただじっと耳を傾けていてくれる。それが今は有難かった。
「それなのに、私はその約束を守れないかもしれない。手を離したくない、離さなくていい道もきっとある筈だと思っていても、それでも」
何が言いたいのかわからなくなる。自分がどうしたいのかが、見えてこない。
「本当は、もう道は分かれてしまっているんです。そんなこと分かっているんです。それでも私は、あの子に」
――帰ってきてもらいたいと、思っているんです。
吐息のように弱々しく零し、項垂れる。
「選ぶことが切り捨てることなら、私はどちらも選べないかもしれない。そして、そのままどちらも失ってしまうのかもしれない。それが、怖くて――」
酔いが回ってきたのだろうか。
妙に視界がぼやけて見えた。



「子育て四訓、というものをご存知でしょうか?」
俯いて黙り込んでいたウィオラが落ち着くのを待っていたのだろうか、暫くの間を置いてから、マリナティアは唐突にそんなことを切り出した。
「え、と。その。初めて聞きました」
不意を突かれ、思わず呆気に取られる。それが何の関係があるのだろう。
「私も、アミリアちゃんが自分の娘だと知ってから調べたものなのですが」
呆けたような表情のウィオラの前で、はにかむように笑い、指折り数えて見せる。

ひとつ、幼児期は肌を離さないこと。
ひとつ、少年期は肌を離すこと、手を離さないこと。
ひとつ、思春期は手を離すこと、目を離さないこと。
ひとつ、青年期は目を離すこと、心を離さないこと。

「――マリナさん」
「手を離すのも、勇気ですよ。そして、手を離したからといって、絆が途切れるわけではありません」
そう言って、マリナティアは柔らかに微笑んだ。
「でも、何があっても、心だけは離しては駄目です。それができれば、きっと、大切だという思いは伝わりますから」
穏やかな、人を安心させるようなその表情に、さして歳の変わらぬ筈の彼女が随分と大人に見えた。
「あの子」と口走ったせいで、マリナティアは「追っ手」が自分の身内であることを悟ったのかもしれない。だからこそ、こんなことを口にしたのだろう。
クラウンフィールドの皇妃は、ウィオラのことはある程度知っている筈だ。彼女が「ひとり娘」とされていることも。
それを追求せずに、ただ優しく教え諭すように語り掛けてくれる。
「思いが伝わる、ということはとても大切なことだと思います。たぶん、貴女が思っている以上に。だから、貴女の気持ちは大切にしておいてください」
でも、きっともう十分に伝わっているのでしょうね。そう微笑まれ、言葉に詰まる。
そう、なのだろうか。
だとすれば、自分を頼ってくれたのも、そうしながらも正面から宣言したのも、きちんと向き合ってくれている証なのだろうか。
自分は答えをはぐらかしてばかりだとういのに。
「それに。そうすれば、いざという時に直面した時、自然に貴女のしたいように身体は動きますから。それがどんな結果になろうとも、きっと、互いに恨むことも憎むこともなく、納得できると思います」
どんな結果になろうとも。
覚悟なんて、予め決めておかなくても。きっと、すんなりと受け入れられるだろうと。
「思うままに生きても、いいと思います。そうしてしまったことの言い訳なんて、後で考えればいいじゃありませんか」
「……難しいですね、それは」
悩んで悩んで、それでも出ない答え。悩んでいるからこそ、出ない答え。
気持ちのままに行動して良いのなら、答えなんてひとつしかない。
それが選べないから、悩んでいるのだから。
ふわりと隣で空気が動く。
いつの間にか俯いていた顔を上げると、マリナティアが立ち上がって踵を返したところだった。
呆れられただろうか。そう思った時、歌うような声が耳に届いた。

「皆が幸せでありますように」

幸せでありますように。
そういえば、母も昔そんな風に歌っていた。
あなたたちが幸せでありますように、と。妹や弟の子守唄に紡がれたその旋律を懐かしく聴いていたのは、きっと自分も歌って貰っていたのだろう。
不思議な人だった。感情に乏しい人だった。その理由も今では知っている。
そんな母が、幸せでありますように、と歌ってくれていた。
その時になれば、身体は自然に動く、というならば。
共に在れる道があると信じていると、口にした、その言葉の通りに、願い続けてもいいのだろうか。

答えは出ない。
それでも、選び得ない道と思ってても、道は確かにあるのだと、そう思うと心が少し軽くなった。
いつか、答えを出さなければならない時が来るだろう。
それまで、どうか自分を見失わずにいられますように、と。
窓から差し込む月明かりに、ウィオラはそっと祈りを捧げた。


 作者

さいか